『クイズタイムショック』の名司会者として知られる俳優・山口崇さんが、88歳で肺がんのため逝去しました。
多彩な才能を持つ彼の人生とは?
俳優・司会者だけでなく、知られざる民話研究家としての一面まで詳しくお伝えします。
この記事でわかること
俳優の山口崇(やまぐち・たかし、本名・山口岑芳)さんが2025年4月18日午後3時36分、肺がんのため入居中の高齢者施設で亡くなりました。
88歳でした。
所属事務所のオフィス天童が公式サイトで発表し、通夜は4月25日、告別式は26日に行われる予定です。
喪主は長男の山口太郎さんが務めます。
🕯 山口崇さん、肺がんで逝去 - 最期の様子と家族に見守られた88年の生涯
山口さんの肺がんは昨年10月に発覚しました。
インタビュー中に声に異常を感じたことがきっかけで、病院で診察を受けた結果でした。
実は手術や入院治療は受けず、自宅で治療に専念していたのです。
しかし最近になって体調が急変し、約1週間前に入った高齢者施設で、長男にみとられてこの世を去りました。
ℹ️ 山口崇さんに関する基本情報
- 本名:山口岑芳(やまぐち・たかよし)
- 生年月日:1936年11月17日
- 出身地:兵庫県淡路島(現在の南あわじ市)
- 主な作品:『天下御免』『大岡越前』『クイズタイムショック』など
三谷幸喜監督からの強い要請を受けて出演した2019年9月公開の映画「記憶にございません!」が最後の出演作品となりました。
総理大臣の恩師・柳友一郎役でした。
山口さんは1936年、兵庫県淡路島出身。
早稲田大学教育学部英文科中退後、NHK俳優養成所に入所し俳優の道を歩み始めました。
なぜ山口さんは多くの人に愛されたのでしょうか?
その理由は彼の多彩な才能と温かい人柄にありました。
次の見出しでさらに詳しく見ていきましょう。
📺 『クイズタイムショック』から時代劇まで - 山口崇さんの多彩な足跡
多くの人が山口さんを『クイズタイムショック』の2代目司会者として記憶しているでしょう。
1978年10月から1986年3月の最終回まで務めました。
「クイズタイムショック」は1969年に始まり、初代司会は田宮二郎さんでした。山口さんは2代目として番組を新たな高みへと導いたのです。
山口さんの俳優としての代表作には以下のものがあります:
- 1971年 NHK『天下御免』平賀源内役
- 1970〜90年代 『大岡越前』徳川吉宗役
- 1966年 NHK大河ドラマ『源義経』能登守教経役
特に『天下御免』の平賀源内役は山口さんの当たり役として多くのファンに愛されました。
自由奔放で型破りなキャラクターに、山口さんの軽やかな魅力が重なり合いました。
『大岡越前』では徳川吉宗役を約30年にわたって演じ続け、世代を超えて視聴者の記憶に残る存在となりました。
では、知られざる山口さんの一面とは?次で紹介します。
📚 知られざる山口崇さんの素顔 - 民話研究家・長唄三味線奏者としての顔
意外かもしれませんが、山口さんは優れた民話研究家でもありました。
民話や邦楽に造詣が深く、ドラマや舞台で三味線、琴、鼓などの演奏も披露していました。
山口さんは1984年に『山口崇 民話の出逢い』という書籍を出版するなど、民話研究を生涯の重要な活動と位置づけていました。
山口さんは人間国宝七代目杵屋巳太郎(故・杵屋淨貢)さんに師事し、「杵屋巳楓(きねや・みふう)」という名取の名前で長唄三味線奏者としても活躍していたのです。
[画像: 山口崇 長唄 三味線]
💪 山口家の家族としての長唄活動
さらに驚くべきことに、山口家は長唄一家でした。
妻の元女優・平尾桂子さんは「杵屋巳貴」として、長女の山口由紀さんは「杵屋巳織」として、長男の山口太郎さんは「杵屋巳三郎」として、それぞれ活躍していました。
- 1 民話研究家としての活動
- 2 長唄三味線奏者としての活動(杵屋巳楓)
- 3 家族全員での演奏会開催
伝統文化の継承者としての側面も持つ山口さんは、単なる芸能人ではなく、真の文化人だったと言えるでしょう。
多才な一面を持つ山口さんのこうした活動は、日本の伝統芸能の発展にも貢献しました。
✨ まとめ - 多彩な才能を持った山口崇さんの遺した足跡
山口崇さんの88年の人生は、俳優、司会者、民話研究家、長唄三味線奏者と多彩な才能に溢れたものでした。
日本の芸能界に大きな足跡を残しました。
山口さんの人生から私たちが学べることは多いですね:
- 多方面での活躍と絶え間ない探究心
- 伝統文化への深い理解と継承への取り組み
- 家族全員での芸術活動という豊かな人生
通夜は4月25日午後6時から7時、告別式は4月26日午前9時半から11時に、代々幡斎場(東京都渋谷区西原)で執り行われます。
山口崇さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
あなたは山口さんのどんな活躍が印象に残っていますか?
よくある質問
Q: なぜ山口崇さんは「クイズタイムショック」の司会として人気があったのですか?
A: 山口さんは明るく親しみやすい語り口とユーモアを交えた進行で、視聴者に安心感を与えていました。自然な温かさと知性を兼ね備えた司会スタイルが、多くの人々に愛された理由です。
Q: 山口崇さんの肺がん発覚後、その後の治療はどうなりましたか?
A: 山口さんは2024年10月に声に異常を感じたことがきっかけで肺がんが発覚しましたが、手術や入院治療は受けず自宅で治療に専念していました。最終的に体調が急変し、高齢者施設で息子に見守られながら亡くなりました。
Q: 山口崇さんが民話研究家として活動していた理由は何ですか?
A: 山口さんは淡路島出身で地域の伝統文化に幼少期から触れていたことが、民話研究への関心の原点だったと考えられます。1984年に『山口崇 民話の出逢い』を出版するなど、日本の伝統文化の継承と普及に貢献する活動に情熱を注いでいました。
Q: 初心者でも山口崇さんの出演作品を楽しむための最適な入門作品はありますか?
A: 初心者には「天下御免」がおすすめです。山口さんが平賀源内役を演じたこのドラマは、彼の魅力が最も発揮された作品の一つで、独創的なキャラクター表現と軽やかな演技で多くのファンを魅了しました。
Q: 雨の日の場合、山口崇さんの墓参りはどこに行けばよいのでしょうか?
A: 現時点では山口さんの墓所に関する公式情報は発表されていません。葬儀後、所属事務所や家族から墓所についての情報が公開される可能性がありますので、正式な発表をお待ちください。
Q: 山口崇さんは長唄三味線として特に何に強い特徴がありましたか?
A: 山口さんは人間国宝の七代目杵屋巳太郎に師事し、「杵屋巳楓」として活動していました。特に表現力の豊かさと、俳優としての経験を活かした物語性のある演奏に強みがあったと言われています。
Q: 山口崇さんの現在の人気は以前と比べてどのように変化していますか?
A: 最近はテレビ出演が減っていたものの、2019年の「記憶にございません!」出演を機に再評価の動きが見られました。若い世代からは「平賀源内役」のイメージよりも「クイズタイムショック」の司会者としての印象が強く、動画配信サービスでの過去作品視聴を通じて新たなファン層も生まれています。
参考情報
- オフィス天童公式サイト: 山口崇プロフィール ()
- ライブドアニュース: 俳優の山口崇さん死去 88歳、肺がん ()
- 愛媛県文化振興財団: 民話シリーズ ()