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【最新】対馬の仏像がついに返還へ!なぜ13年も韓国にあったのか

 

13年ぶりに対馬へ帰る「観世音菩薩坐像」!韓国から5月10日についに返還へ



この記事を読むと、13年間も返還されなかった対馬の仏像が5月10日についに日本へ戻ってくる全貌がわかります。

観世音菩薩坐像のイメージ

観世音菩薩坐像のイメージ


13年ぶりに対馬へ帰る「観世音菩薩坐像」。5月10日に韓国で最後の法要を終え、ついに日本へ返還される日韓問題の象徴的仏像についてお伝えします。



2012年に盗難され、日韓の裁判沙汰となった仏像が、ついに故郷・対馬へ戻ります。なぜ返還まで13年もかかったのか? 返還後はどこで見られるのか?気になる情報を徹底解説します。



 

 

 

📜 対馬の仏像返還問題とは?韓国からついに戻る観世音菩薩坐像

「対馬の仏像」として話題になったのは、長崎県対馬市豊玉町の観音寺から盗まれた「観世音菩薩坐像」です。



この仏像は長崎県の指定有形文化財で、高麗時代(14世紀)に作られた貴重な仏像なんです。



2012年10月8日、韓国人窃盗団によって観音寺から盗まれました。



その後、韓国で犯人が逮捕されましたが、仏像は日本に返還されませんでした



💡 意外な事実

この仏像には驚くべき特徴があります。

像高約60cmの観世音菩薩で、内部から見つかった結縁文(けちえんぶん)に「高麗国瑞州浮石寺」「天暦3年(1330年)」と記されていたのです。

 

この仏像の特徴をまとめると:

  • 高麗時代(14世紀)に作られた銅造の仏像
  • 像高59.8cm
  • 長崎県指定有形文化財
  • 観音寺の本尊として安置されていた
  • 結縁文には1330年の制作と記載

 

なぜこの仏像が日韓間の深刻な問題になったのでしょうか?



次は、返還が13年も遅れた驚きの理由について見ていきましょう。

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❓ なぜ13年も返還が遅れたのか?日韓の裁判と所有権争い

返還が遅れた最大の理由は、韓国側が「この仏像は元々韓国のものだ」と主張したからです。



窃盗犯が逮捕された後、韓国の忠清南道瑞山市にある浮石寺が「この仏像は我々のものだ」と名乗り出たのです。



驚くべきことに、浮石寺は「この仏像は14世紀に倭寇(日本の海賊)によって略奪されたものだ」と主張しました。

こうして日韓間の所有権争いへと発展し、裁判へと進みました



時系列でみると:

 

  • 2013年2月:韓国・大田地裁が仏像の日本への返還を事実上拒否
  • 2017年1月:大田地裁が「所有権は浮石寺にある」と判決
  • 2023年2月:大田高裁が一審判決を覆し「観音寺の所有権」を認定
  • 2023年10月:韓国最高裁が高裁判決を支持、観音寺の所有権確定

 

韓国最高裁は「観音寺が民法上の『取得時効』の20年を超えて仏像を占有してきた」ことを理由に所有権を認めました。



日本と韓国で民法のどちらを適用するかも争点でしたが、最終的に日本民法が採用されたのです。



⚠️ 重要ポイント

これは単なる盗難事件ではなく、歴史認識や文化財の帰属を巡る複雑な問題だったのです。

では、日本側はどのような動きをしていたのでしょうか?

 

 

 

🔍 仏像返還への動き - 観音寺の主張と16,803人の署名活動

対馬側は「仏像は正当に入手したもの」と一貫して主張してきました。



観音寺の田中節孝前住職は、仏像の由来についてある説を支持しています。



💡 実は知られていない事実

対馬側は「この仏像は李氏朝鮮時代の仏教弾圧から守るために対馬に持ち込まれたもの」と説明しています。



朝鮮王朝(1392年〜1910年)は儒教を国教として仏教を弾圧したため、仏像が対馬に渡ったという見方です。

 

「仏像は李氏朝鮮時代の仏教弾圧から守るために対馬に持ち込まれ、大切に守ってきたもので、韓国人から感謝されることはあっても、『略奪』呼ばわりするとは、開いた口がふさがらない」(田中前住職)

対馬市民も仏像返還を強く求めていました。なんと対馬市では市の人口の約半数にあたる16,803人分の署名が集まりました。



2018年1月には、観音寺が韓国政府に仏像の早期返還を求める要望書を外務省や県に送付しています。



一方、韓国の浮石寺側は「韓国は日本に仏教や仏像を伝えました。それなのに日本人は寺を燃やし仏像を奪っていきました」と主張。



さらに「返還して欲しければ略奪ではなく友好的に贈られたことを日本側が証明すべきだ」と反論していました。

この対立の背景には、日韓の歴史認識の違いが横たわっています。



では、ついに実現する返還はどのように進むのでしょうか?

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📅 5月10日の返還へ - 最後の法要と日本への輸送計画

仏像返還のスケジュールが決まりました!



今年1月に書類上の返還手続きは完了し、ついに物理的な返還が実現します。



意外なことに、浮石寺では仏像返還前に100日間の法要を行っています。

1月25日から一般公開されており、韓国全国各地から約4万人もの人が拝観に訪れたそうです。



 

📆 返還スケジュール

  • 5月10日午前:浮石寺で最後の法要
  • その後、飛行機で日本へ
  • 5月11日:福岡空港に到着
  • 5月12日早朝:船舶で対馬港に到着予定
  • 同日:観音寺で法要を実施

 

実は韓国では返還に反対する動きもあります。浮石寺での拝観と同時に「再返還」を求める署名活動が行われ、約1万5000人が参加したと報じられています。



「ずっと待ち続けていた。うれしいんですけどね。手元に来ないと本当に喜べるかどうか、対馬でお会いできたら返ってきたということになると思います」(田中前住職)

日韓関係の先行きが不透明な中での返還ですが、忠清南道瑞山の浮石寺の円牛住職は「返還は政治状況と関係なく進めるべき」との姿勢を示しています。



 

 

 

📝 まとめ - 対馬博物館で保管へ、今後の展示と保護

13年におよぶ返還問題に、ついに決着がつきます。



では、返還後の仏像はどうなるのでしょうか?



意外なことに、仏像は観音寺ではなく対馬博物館で保管される予定です。

これは防犯上の理由からの決断でした。

3月7日に観音寺で開かれた協議では、長崎県や対馬市の文化財担当者と約20人の檀家が集まり、返還後の保管方法について話し合いました。



檀家は高齢化しており、仏像を24時間守るのは難しいという現実もあります。



「(防犯装置など)金かけても、地区の住民が日に2回も巡回して。なかなか高齢化を迎える中でそれも厳しい」(檀家の声)

結果として、常設での展示を条件に対馬博物館に預けることが決まりました。観音寺には複製が展示される予定です。



この13年間の返還問題からわかること:

  • 文化財の所有権問題は単なる法的問題ではなく歴史認識にも関わる
  • 「取得時効」など民法上の概念が国際的な文化財問題にも適用される
  • 地域の高齢化が文化財保護にも影響している

あなたは文化財の国境を越えた返還について、どう思いますか?



この問題は日韓関係の一面を映し出していると同時に、文化財保護の難しさも示しています。



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【関連情報】

  • 仏像:観世音菩薩坐像(銅造、高麗時代、像高59.8cm)
  • 盗難日:2012年10月8日
  • 返還日:2025年5月10-12日
  • 今後の保管場所:対馬博物館(常設展示予定)

よくある質問

Q: なぜ仏像の返還が13年もかかったのですか?
A: 韓国の浮石寺が「この仏像は倭寇に略奪されたものだ」と主張し、所有権を巡る裁判が行われたためです。韓国最高裁が観音寺の所有権を認める判決が2023年10月に確定するまで、返還が遅れました。

Q: 仏像が返還された後、その後どこで見ることができますか?
A: 仏像は対馬博物館で常設展示される予定です。これは防犯上の理由と、高齢化する檀家が24時間体制で管理するのが難しいという理由からの決断でした。

Q: 仏像が対馬に持ち込まれた理由について、日韓でどのような主張の違いがありますか?
A: 日本側は「李氏朝鮮時代の仏教弾圧から守るために対馬に持ち込まれた」と主張しているのに対し、韓国側は「倭寇(日本の海賊)によって略奪された」と主張しています。この歴史認識の違いが問題を複雑にしました。

Q: 韓国での法要が100日間も行われる理由は何ですか?
A: 浮石寺では仏像の安寧を願って100日間の法要を行うと主張していました。この期間中に約4万人が拝観に訪れ、同時に「再返還」を求める署名活動も行われ、約1万5000人が参加したと報じられています。

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