- 「プロレス界の哲学者」西村修さんとは?独特の魅力と経歴
- 独自の哲学と技術 - 「西村ワールド」と「西村説法」の世界
- プロレスラーと政治家の二刀流 - 西村修さんの議員活動
- 師匠・藤波辰爾との確執と感動の和解
- 食道がんについて知っておきたいこと - 症状と予防法
- 西村修さんの遺した功績と人々の反応
プロレスラーであり東京都文京区議会議員でもあった西村修さんが、に食道がんのため53歳で亡くなりました。
西村さんは2024年から食道がん(扁平上皮がん)のどと胃をつなぐ食道という管状の臓器にできるがんの一種のステージ4がんが体の他の部分にまで広がった最も進行した状態と診断され、闘病生活を送っていました。
「プロレス界の哲学者」の異名を持ち、独自の戦い方「西村ワールド」で多くのファンを魅了した西村さん。
プロレスラーとしての活動と並行して政治家としても活躍し、4期連続で文京区議会議員を務めていました。
最後まで不屈の精神でプロレスリングと政治の両方の活動を続けようとした西村さんの波乱の人生と、闘った食道がんについてご紹介します。
「プロレス界の哲学者」西村修さんとは?独特の魅力と経歴
西村修さんはに東京都文京区で生まれました。
1990年に新日本プロレスに入門し、に沖縄県でデビュー。
カール・ゴッチやドリー・ファンク・ジュニアなど世界的な名レスラーの指導を受け、技術を磨きました。
西村さんの特徴は、クラシカルなプロレススタイルと哲学的な思考でした。
「プロレス界の哲学者」「闘う哲学者」「無我の伝道師」などと呼ばれ、多くのファンから支持されていました。
米国、欧州など世界各地での修行にも熱心で、時には新日本プロレスの帰国命令も拒否するほど技術の追求に情熱を注いでいました。
そのような姿勢が、のちの「西村ワールド」と呼ばれる独自のスタイルを生み出したのです。
2010年に政治活動を開始し、2011年には東京都文京区議会議員選挙で初当選。
プロレスラーと政治家という二つの顔を持つ珍しい人物として注目されました。
以降、文京区議会議員を4期務め、最後までプロレスと政治の両立を続けました。
独自の哲学と技術 - 「西村ワールド」と「西村説法」の世界
「西村ワールド」とは、グラウンドでの極技(サブミッション・ホールド)相手を関節技などで降参させる技を中心とした、西村さん独自のプロレススタイルを指します。
相手を関節技などで降参させる技に精通し、計算された動きで観客を魅了していました。
例えば、の佐々木健介とのIWGP王座挑戦では、9発連続のミサイルキックという驚異的な技を繰り出し、多くのファンの記憶に残る名勝負を演じました。
また、「西村説法」と呼ばれる独特のマイクパフォーマンスも西村さんの特徴でした。
多くのレスラーが相手を罵倒したり威勢のいいアピールをする中、西村さんは哲学的な持論を展開することが珍しくありませんでした。
「西村説法」の例
「今の時代に必要なのは正義。世の中のため、日本のため、世界のため、宇宙のため」
「小学校の卒業アルバムで『新日本に入って長州力を倒す』と書いた」
など、試合と全く関係ない話題を真面目に語り、場内が爆笑に包まれることもありました。
西村さんのこのような一面も、多くのファンに愛された理由の一つでした。
プロレスラーと政治家の二刀流 - 西村修さんの議員活動
西村さんは2010年に政治活動を開始し、2011年に東京都文京区議会議員選挙に立候補。
見事初当選を果たし、以降4期にわたって務めました。
政治家としての西村さんは、食の安全など社会問題に取り組み、地域の発展に尽力していました。
西村さんの誠実な人柄は政治の世界でも発揮され、当選した翌日も駅前に立って有権者に感謝を伝える姿が見られたといいます。
他の議員との違い
多くの議員が当選後は次の選挙期間まで街中で姿を見せることが少ない中、西村さんは常に地域に根差した活動を続けていました。
地域の歩道拡張や公園の利用改善など、具体的な活動にも取り組み、多くの住民から支持されていたようです。
師匠・藤波辰爾との確執と感動の和解
西村さんは藤波辰爾さんが立ち上げた「無我ワールドプロレスリング」に所属していましたが、に突然退団。
無我ワールド側へは何も伝えず「無我からの亡命」と表現されたこの決断により、長年にわたり二人の間には確執が生まれていました。
しかし、西村さんの容体悪化を受け、に開催された「ジャイアント馬場没25周年追善」興行において、藤波さんは西村さんの代役として出場。
これにより、長年の確執に終止符が打たれ、二人は和解したと伝えられています。
最期の和解
西村さんにとって、最期に師匠との和解ができたことは、多くのプロレスファンに感動を与えました。
この和解は、西村さんの人生における美しい締めくくりとなったのではないでしょうか。
食道がんについて知っておきたいこと - 症状と予防法
西村さんが闘った食道がんについて、私たちも知識を持っておくことが大切です。
食道がんとは、のどと胃をつなぐ食道という管状の臓器にできるがんのことです。
- 食道がんの特徴
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食道がんの特徴として、男性に多く発症し、女性の約6倍もリスクが高いとされています。
特に60〜70歳代に好発しますが、西村さんのように50代で発症することも珍しくありません。 - リスク因子
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主なリスク因子は飲酒と喫煙で、特に「お酒を飲むと顔が赤くなる体質の人は食道がんになるリスクが数十倍高まる」という研究結果もあるそうです。
- 症状
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初期症状は乏しいことも多く、進行してから発見されるケースが少なくありません。
症状としては、飲食時の胸の違和感や食べ物がつかえる感じ、胸や背中の痛み、咳、声のかすれ、体重減少などが挙げられます。 - 早期発見
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早期発見のためには胃カメラ(上部消化管内視鏡検査)が有効です。
特にリスク因子に当てはまる方や、飲み込みづらいなどの症状がある場合は、検査を検討することをおすすめします。
西村さんの闘病
西村さんの場合、2024年に体調不良を訴え、検査の結果、食道がんが発見されました。
すでに左側上半身全体に転移がん細胞が最初にできた場所から体の別の部分に広がることしており、ステージ4と診断されていました。
10月には脳に転移したがんを取り除く開頭手術頭の骨を一時的に開いて脳を手術することを受け、一時はプロレスに復帰するなど闘病生活を送っていましたが、2025年1月に容体が悪化し、緊急入院。
に53歳という若さで亡くなりました。